マリエの枕営業疑惑はいつ頃?芸能経歴と起業までの時系列について

スポンサーリンク
マリエの枕営業疑惑はいつ頃?芸能経歴と起業までの時系列についてアイキャッチ
スポンサーリンク

マリエさんは元子役モデルで小学5年生で芸能界にデビュー、15歳の時に芸能事務所レプロエンタテインメントに原宿でスカウトされて移籍。

2005年、マリエさんは当時18歳のときに島田紳助さんが司会を務める毎日放送『世界バリバリ★バリュー』にパネラーとして出演したのをきっかけに本格的にタレント活動を開始!

マリエさんが2021年4月4日にインスタライブで公表した『枕営業疑惑』はこの頃に起こりましたね。

そんなマリエさんの芸能経歴と枕営業疑惑の時期と起業するまでを時系列で紹介します!

マリエ56出典 産経新聞社

マリエさんの家族構成と子役モデル時代

マリエさんは3人姉妹の末っ子として生まれ 父はフランス系カナダ人でフランスの自動車オイル輸入代理店の元社長で『石油王』と呼ばれ日本人の母は元客室乗務員。

姉はファッションモデルをしていたのでマリエさんはその影響でモデルになりたかったようですね!

マリエさんは原宿でスカウトされたのをきっかけに11歳(小学5年生)から子役モデルとして芸能活動をスタート。

子役モデル当時はレプロエンタテインメントとは別の芸能事務所に所属していましたがどちらも原宿でスカウトされたんですよ!

出典 https://www.wwdjapan.com/

マリエ18歳で本格的なタレント活動開始!

マリエ332出典 https://www.hachi8.me/

マリエさんは18歳のときに所属事務所のレプロエンタテインメントに5年契約でバラエティーなどの芸能活動を真剣にやってみないかと言われました。

マリエさんは大学に進学する予定でしたが「このオファーはもしかしたら今しかないかも知れない。だったらもしダメで5年後に大学に行っても遅くないんじゃないか」と考え方をあらためて本格的はなタレント活動をスタートさせます!

マリエ枕営業を拒絶!島田紳助・出川哲朗・やるせなすとの接点

2005年、マリエさん(当時18歳)は島田紳助さんが司会を務める『世界バリバリ★バリュー』に解答者として出演!

当番組には出川哲朗さんもに回答者として出演、やるせなすの2人はリポーターとして出演していましたよね。

マリエさんが2021年4月4日にインスタライブで公表した内容によると『枕営業』目的で島田紳助さんに誘われたのはこの頃のことです。

マリエさん・紳助さん・出川さん・やるせなすの2人は皆『世界バリバリ★バリュー』の出演者なので『枕営業疑惑』に直接関わったとされるこの5人がこの番組で1つにつながりましたね。

マリエさんの現場となった部屋に同席していた出川哲朗さんとやるせなすの2人に『枕営業』の斡旋(島田紳助さんの要求をマリエさんが聞き入れるように説得)されたと公表したときは衝撃を受けまたよね。

結果としてマリエさんは一旦、紳助さんの誘いを断り、その場を去ると所属事務所に枕営業目的で誘われたことを報告します。

するとマネージャはマリエさんに「いいの? マリエ? こんりんざい、仕事来ないけどいい?」と説明を受けることに…。

マリエさんは枕営業は嫌だと拒否したので「紳助さんがツーツーだった制作会社に謝りに行った」と言っています。

島田紳助1出典 https://dot.asahi.com/

スポンサーリンク

マリエの芸能経歴【笑っていいとも!時代(2007-2010)】

マリエ いいとも!出典 産経新聞社

マリエ「守ってくれたのはいいともメンバーと爆笑問題」

マリエさんは枕営業を断り、そのことを謝罪したことで『世界バリバリ★バリュー』と『ヘキサゴン』への出演はなくなったと言っています。

マリエさんがインスタライブで伝えた内容の中で「守ってくれたのはタモリさんと、いいとものメンバー、そして爆笑問題」と言っていたのは印象的でした。

マリエさんは2007年から『笑っていいとも!』の火曜レギュラーとして出演、途中から水曜レギュラーに移行して2010年に卒業しています。

タモリ 鶴瓶https://www.iza.ne.jp/

爆笑問題出典 https://news.mynavi.jp/

マリエさんが共演したいタレントとは?

2018年、マリエさんは「共演したいタレントは?」というインタビューに応じています。

マリエさんは「もう一度お仕事したいなと思っているのは爆笑問題さんとか鶴瓶さんとか、『笑っていいとも!』の時にお世話になった千原ジュニアさんとか」「留学から帰って来てから何度かごあいさつもさせてもらったので、機会があればぜひ」と言っています。

真実を伝えると公言しているマリエさんが共演を望んでいるということは爆笑問題さん・鶴瓶さん・千原ジュニアさんの人間性のすばらしさや愛情の深さを証明していると言ってもよいでしょうね。

千原ジュニア1出典 https://search.yahoo.co.jp/

マリエさんの関連情報はこちらで紹介しております!

マリエの告発と枕営業の真相とは⁉レジェンド芸人島田紳助&出川哲朗!

マリエが枕営業疑惑を公表した目的は男女平等な世界を築くため⁉出川哲朗の支持率はどうなる⁉

マリエはヘルオブヘブン代表&デザイナー!環境省アンバサダー就任について

マリエの経歴【大学留学(2011年10月-2012年5月)】

マリエ留学出典 https://deow.jp/usa/school/

2011年10月 ファッションの名門校であるニューヨークのパーソンズ美術大学(パーソンズ・スクール・オブ・デザイン)に留学

『ダナ・キャラン』『アナ・スイ』・『マーク・ジェイコブス』といった世界で活躍するデザイナーたちが学んだ学校としても有名なんですよ!

2012年5月 マリエさんはパーソンズ美術大学のプログラムである6ヵ月間の社会人向けのコースを修了。

2021年7月21日に自身の公式ブログで帰国したことを報告しています。

マリエさんがパーソンズ美術大学に留学したいきさつ

マリエ 44出典 出典 https://www.oricon.co.jp/

 

当時、両親に進学を進められたマリエさんはモデルになりたかったので「私はデザイナーになりたい」と嘘をついたのがパーソンズ美術大学に留学したきっかけなんです。

マリエさんの母は(マリエさんがモデルになりたいと言うと)「せっかくいい学校に入学させたのに」と泣き、夢を大事にする父でさえ「大学までの人生プランを報告しなさい。それ次第で考える」と怒ったので仕方なく嘘をついたんですよ。

「洋服が好きだから、高校を卒業するまでにお金を貯めて、ニューヨークのパーソンズに行ってデザイナーになる。今の学校じゃファッションを学べない」と伝えると父は一言「頑張れ」と言ってくれたそうです。

マリエ パーソンズ美術大学留学の心境

マリエ公式ブログ『Fashion Junk Food』
2011年10月4日【☆みんなに報告です☆】

「もっとはやくつたえられたらよかった」

「今ねマリエは日本とNEW YORKを行き来しながらPARSONSという大学にかよっているの」

「すべてが新しくって、うまくいかないことばかりだけど、自分がどれだけ未熟だったかをよく知れた必要な経験です」

マリエ公式ブログ『MY TINY DANCERS』
2011年10月4日【入学写真】

「ずっとあこがれだったPARSONS 過去に様々なbigメゾンのデザイナーが卒業してきた、世界三大アートスクールのひとつで、場所もNEW YORKのど真ん中にるの」

「本当にあこがれだったこの大学で、『学生』にもう一度チャレンジです。緊張しすぎて、この日の初日は表情がひきつっています笑」

「大好きナことを先生がおしえてくれるっていったいどんな感じなんだろう、クラスメイトとかみんな19歳くらいなのかなぁ?ついていけるのだろうか?とかとか、いろんなことすっごく不安でドキドキしてた」

マリエの経歴 ファッションブランドPMD設立【2017年】

2017年6月 マリエさんは自身の名前をブランド名として『パスカル マリエ デマレ(PASCAL MARIE DESMARAIS) a.k.a PMD』を設立。

株式会社ヘル・オブ・ヘブン代表取締役として経営管理をしながら、デザイナーとして服を作っているんですよ!

マリエ2出典 https://www.wwdjapan.com/

マリエが起業するために乗り越えてきたこと

マリエ22出典 https://www.wwdjapan.com/

マリエさんは2006年から2011年までセレブアイドとして活躍してきたけど、病気や精神的な問題を抱えていていたといいます。

処方箋の服用と喫煙やアルコールにひたるような生活を送っていたけどファッションと真剣に向き合うことで立ち直ることが出来たとのことですよ。

マリエが本音で語る「私の33年目のサステナブル」Vol.3 私が“サステナブルになった”理由【前編】

「どうしてサステナブルな思考になったのですか?」と、最近よく聞かれる。

私は「サステナブルなブランドを立ち上げたい!」と思って「パスカル マリエ デマレ(PASCAL MARIE DESMARAIS) a.k.a PMD」を始めたわけではない。むしろサステナブルという言葉すら知らなかったし、その言葉を知ってからも、私なりに理解するまでにとても時間がかかった。うまく使えるようになったのはごく最近だ。

“サステナブルなブランド”に行き着いた経緯は多々あるが、大きく分けると次の3つだ。
1 お金がなかった
2 もともと過剰包装が大嫌い
3 これしかなかった

読者の皆さまにはまず、この3つの話を伝えたい。

2006年から11年まで、セレブなアイドル、略して“セレドル”としてメディアにかわいがられた私が、どうして「お金がなかった」のか、気になるところだろう。そして3番目の「これしかなかった」を知らずして、私がサステナブルな思考になった理由は理解しづらいので、まずはその話から。

11年、さまざまな病気に体と精神をむしばまれてボロボロだった私には、ファッションだけが心のよりどころだった。だからたとえ目の前が見えなくても“ファッション”だけは道を踏み外さないよう、慎重に進んでいこうと決めた。そしてファッション留学を決心し、当時レギュラーだった「笑っていいとも!」や準レギュラーの「アッコにおまかせ!」などのテレビ番組を降板。憧れだったニューヨークのパーソンズ美術大学に留学した。

そこからタバコやアルコール、処方箋まみれの生活を抜け出すまでに7、8年の月日を要した。自分をコントロールできない毎日から私を救ってくれたのは、大好きなファッションと真正面から向き合える環境だったと、今もはっきり言える。

好きなことを探求する中で見えてきたのは、世界の動きや、自分と地球の関係。そして何を選択するかで人生は変わることも分かった。

ようやく生きる光が見えてきた17年、私はエシカルなブランド「パスカル マリエ デマレ」をTシャツ1枚からスタートさせた。「同じ過ちを犯してしまう若い子を少しでも減らしたい」「私と同じ苦しみをファンに味わってほしくない」という思いを込めて、彼らに私が学んだたくさんの生きるヒントを伝えたかった。そのためには、私の手元に唯一残ったファッションで表現するしかなかった。「これしかなかった」のだ。

そして、ロールモデルといわれ、一番影響力があった時代の無知すぎた自分も恨んだ。私を支持してくれていた人に光を与えられていたか、幾度となく後悔した。でも、その後悔が“サステナブルファッション”へのクリエイション源となり、自分自身を突き動かすことになったのだ。

出典 https://www.wwdjapan.com/

まとめ

マリエさんはヘルオブヘブンの代表取締役として社会的にも責任ある立場にいながら15年前の『枕営業疑惑』という出来事を公表するのはとても勇気のいる決断だったはず。

マリエさんはインスタライブで『枕営業疑惑』を公表した理由について男女平等の未来を築くためと公表していますね。

そんなマリエさんの芸能活動経歴と現在の会社代表にいたるまでを時系列で紹介しました!

これからもマリエさんを応援していきますね!

コメント

タイトルとURLをコピーしました